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執筆者の写真浦上利夫

【個人的なブログ】あの日


またあの日のあの景色が頭に浮かんできた。


自分には、なぜかいつも思い出す光景がある。

それは高校の時に校庭から見たある景色

何の変哲もないその景色

その瞬間のその時が自分が最も純粋だった場面だと何故だかわかる


こう書くとまともな人はまた何を言ってるんだ?と思うだろう。


通常なら瞬間と言うよりももう少し長い時間軸で考えて、例えば高校1年生の時がとか、あの頃が1番幸せだったとか純粋だったとかなるだろうが、自分の場合は超ピンポイントの0.0何秒という表現の、時間という概念で計ることが出来ないその瞬間が最も純粋だった時だと感じている。


高校2年生だったかな?

その頃は今思えばダサいんだけど、最初に出てくるこんな感じの白いヘアバンドを頭に巻いて高校に通っていた。



その頃はちょうど夏休みで部活に行くために電車に乗っていたときに、対面式4人席の向かい側にたまたま途中から優しそうなおばあちゃんが座ってきて、ヘアバンドしてイキッていた自分に対し、


「頭どうしたの?怪我でもしたの?大変ねぇ、飴上げるね」


と、なぜか飴ちゃんをもらうような時代であった。

頭怪我してないんだけど、弱っちい自分は


「そうなんですよ、怪我しちゃって…」


なんて言っていたしょぼい思い出が残っている日々のワンシーンのいつかの瞬間である。


なぜこの光景が残っているかも分からない。

真夏の炎天下の中でサッカーをしていた時、たまたま何も考えないで見たある一場面。

別に人物がいる訳でもない、誰かに話しかけられて思い出に残っている瞬間でもない。

ただ、フェンス越しに住宅街が並ぶだけの景色を何も考えずに見ていた。


でもその瞬間の景色が今でも脳裏に焼き付いている。

完全なレベルで無防備な状態の自分でいたときの瞬間の景色。

そうはっきりと感じている。


意識をしないでいる時に見たものを忘れられないというのは、ある意味矛盾している。

意識をしないというのは簡単に言うと無意識。


もっと単純に言うと、心臓を意識して動かしている人間など一人もいない。

無意識が勝手にしているときのことなど覚えていることの方が不自然。

そう考えると、いやいやこんなこと書いててもどうせ意識してたから記憶してるんだろ、と言う人がほとんどだと思う。


無意識を使うというのは、最近巷で意識高い系の人たちなら勉強をしている。

勉強している時点で終わっているのだが、無意識をいかに使えるかが重要と考える人たちが最近多い。

ただそれは、ビジネスなどで使うことを前提として考えている人たちだ。


無意識というのは、何にも考えない何にもない瞬間である。

無から何かを生み出すことなんて物理的にできないと思われているかもしれないが、自分は無からでも何かが生まれると信じているし、この瞬間の景色と言うのはそういう現象の一つだと感じている。


人間として生まれ、死ぬことを前提として葛藤しながら生きるというのがこの世界。

そのなかで皆は何を意識して生きているのだろう。


お金か?

名誉か?

優越感か?

功績か?

趣味か?

楽しい何かか?


そんなものは死んだら何も意味がない。


生まれたとき、全員皆純粋だった。

自分一人では生きていけないほど弱かった。

大人になったって、結局全員弱い。

強いことが良いことだと思い込み、自分は弱くないと脳に勘違いをさせて何とか取り繕って生きている。


人間なんて全員間違いなく弱い。

当然自分なんか最弱の部類だ。


ただ弱さを別に恥ずかしいこともないし、むしろ良かったとさえ思っている。

頭が悪くて良かったなと思っているし、中学校に行かなかったこともそうだが、馬鹿な高校に行ったのも本当に良かったと思っている。


自分の中で良い時代と言うのは、中学校に登校拒否で部屋に籠っていた時であり、高校で勉強もせずただサッカーだけをして、そして炎天下の中で何も意識せずに見た瞬間の景色がなぜか一生忘れられないものとして残っている。


上手く言葉には言えないが、たぶん本当に大切なことってこういうことかなって感じている。


何も考えないで、ただひたすら生きる。

その時に生まれた何かが、実は本当に大切なものなのではないかと思っている。

何も考えない純粋な気持ちで何かを見て感じて、それを受け入れられることができるかが人生を生きるうえで最も重要なのではないかと思っている。


それって直観よりもっと研ぎ澄まされたものであり、何にも考えていないしょうもない無駄と思われるような瞬間が大切なんだと思う。


しょうもないことが、人生の何かのタイミングでよぎってくる。


しょうもない自分が、しょうもない瞬間を生きて、しょうもない何かを感じ、しょうもない物を受け入れる。


それが唯一、人間が生きていることを証明できる何かなのかもしれない。


あの瞬間、あの景色を見たことは奇跡かもしれない。

その日の思い出は何も思い出せない。

でもその光景は残っている。

同じものはもう見れないが、今この瞬間も心の中に生きている。

ただふと、何も考えないで顔を上げて遠くを見たときの景色。


そんなものが絶対に忘れることが出来ない人生を生きている証の一つになっている。


どうせ皆死ぬ。

死ぬために生を受けて生きている。


どんな瞬間でも何気ないものが心に残ることがある。


ならば、何を残すか?


この世に何かを残すことなんて意味など無い。


この世ではなく、自分の中にだけ忘れられない何かを残すことだけが本当に大切なことだと思う。


無意識なまでに生きて純粋だったと思えた瞬間をたくさん集めて死ねたら良いな。


全然綺麗ではない生き方をしているけど、誰かに何かが伝わればと思ってこんなキモイことを平気で書いている。


シンプルに書くと、高校の夏休みに部活でサッカーしてる途中に見た景色の話し。

何の意味もないしょうもない話し。


でもその本質は、そんなしょうもない、誰にも理解されない所に自分の大切なものが詰まっているという話しである。


世界中が幸せであって欲しいし、皆が今の瞬間を楽しめて笑っていられる世界を作りたい。


電車に乗って、つまらない顔をして携帯ばかり見る人たち。

他人には冷たく自分には甘い人たち。

自分が最優先で生きている人は当然誰からも関心は持たれないし助けてももらえない。


そんな世界を変えてしまいたい。


他人を見るのではなく、他人を気にするのではなく、自分の大切なものを見つけられる世界になって欲しい。


大切なものなんて簡単に自分の中に見つけられる。

しょうもないと思われることでも自分には忘れられない瞬間になることがある。


それに気づいて生きてくことが出来たら、他人の生き方を尊重し生きやすい世界になると思う。


綺麗なものだけが良いわけではない。

汚いものがダメなわけでもない。


自分が大切だと思える何かを見つけることが出来たら、必ず人に優しくなれると思う。


その何かは、何も考えていない瞬間にあるかもしれないというしょうもない話しでした何

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